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地獄(Inferno)

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地獄を見た人は強いと云う。
とても強くなりたいのだが
実際、地獄を見るのは恐ろしいような気がするので
取り敢えずは
考え得る限りの恐怖と
思い付く限りの悲嘆を想像してみた結果
翌朝
とても悲しい夢に涙しながら覚醒の後
耐えるに忍びないと思っていた
どん詰まりの日々を
極楽浄土に感じるように。
ん?
強く為れたのか?


「天国はすごくいいところらしい。
 だって、行った人が誰一人帰ってこないのだから。」
 作者不詳

 

I heard that a person to see Hell was strong.
Because I want to become very strong,
but it really feels like being terrible to look at the hell
so, first of all
I imagined the fear of the conceivable limit
and the grief of the limit to hit on.
On the next morning,
After awaking while grieving at a very sad dream
I came to feel the hopeless daily life that I thought to be unbearable
if I endured it when it was heaven.
Huh?
Did I get to being strong?

"Heaven seems to be a very good place.
 Well, because the person who went comes back to nobody."
 by An author is unknown


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悔悟 (Regret)

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取るに足らぬ戯言や
阿呆過ぎる軽率なら
なんぼでも口を突いて出る。
やらんならん事の先送り
踏んだらあかんツボの踏み抜きなんかお手のもん。
なんで伝えなあかん時にちゃんと言わんねん。
なんでそん時そうせんかってん。

多過ぎるわい Regret。
考えられんわい Moratorium。
47回目やわい Spring 。
Fuck わい。

などと鬱屈した心持で歩きし公園にて
開きかけた桜の蕾に思い立つ。
久方振りに花見開宴せん。
嗚呼、花見しょっや、いっしょに。

今年こそはと思うも
春に霞みし。


「不幸を治す薬は、ただもう希望よりほかにない。」
 by ウィリアム・シェイクスピア


Worthless silly talk,
Ridiculous carelessness,
I can say as many as one likes.
They are daily occurrences
Postponement of having to do it,
Doing that I must not do it.
Why do I not say exactly when I must tell?
Why did I not do so it at that time?
Too much regret,
Moratorium as it is unbelievable,
The 47th spring,
Fuck myself.
At the park to walk with a depressed feeling,
I think on the cherry bud have begun to open
Let's have a party of the cherry blossom viewing after a long absence.
Oh! Please do it with me.
Thought as for this year is veiled in spring.

"There is not anymore only the medicine curing misfortune other than hope"
 by William Shakespeare


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TⅢ-14.JPG

気が触れていると思われても構わない。
(そもそも触れ気味だという自覚もあるし)

千手観音に為りたい。

そのような酔狂を実践せんとするは
敬愛する先達の以下の名文に共鳴せし故。

.................................................................


”空を見上げるとき僕が見ているのは
「空いっぱいの悠久の過去」である。
たとえば天の川を見る。
天の川は我々の住む銀河系の総体であって、
太陽系はご承知のようにそのごく端っこのほうにある。
円盤型のこの銀河の大きさは四万光年とされている。
つまり天の川の中の光のひとつは四万年かかって
この地球に届いたものなのだ。
金星や火星が何分か前に出した光と四万年前に放たれた光とを
我々は同時に見ているわけである。
(中略)
ところでこうした事を考えているうちに
僕は奇妙なことに考えついてギョッとしたことがある。
我々はこうして夜空に「過去」を見ているわけだが、
それなら厳密に言えば、我々が目にするもの森羅万象、
何ひとつとして「現在」のものはない。
我々が見ているのはこれすべて「過去」なのである。
 たとえば我々は太陽を見るが、それは厳密に言えば
今から八分前の太陽の姿である。遠い丘の上で
恋人がこっちに向かって手を振っているのが見える。
その丘が一キロメートル向こうだとすると、
その恋人の姿は光速の
「二九万九千キロメートル分の一秒前」の姿である。
海外へ電話をすると、相手の答えがほんの少しの間合いでずれるが、
あれをもっと微細にしたようなことが視覚の世界で起こっているわけだ。
たとえ僕の目の前のテーブル越しに、愛する人が笑っていたとしても
これは「無限分の一秒」過去の笑顔なのである。
 人間の実相は刻々とかわっていく。
無限分の一秒後には、無限分の一だけ愛情が冷めているかもしれない。
だから肝心なのは、思う相手をいつでも腕の中に抱きしめていることだ。
ぴたりと寄りそって、完全に同じ瞬間を一緒に生きていくことだ。
二本の腕はそのためにあるのであって、
決して遠くからサヨナラの手をふるためにあるのではない。”

by 中島らも 「サヨナラにサヨナラ」より


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