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気が触れていると思われても構わない。
(そもそも触れ気味だという自覚もあるし)

千手観音に為りたい。

そのような酔狂を実践せんとするは
敬愛する先達の以下の名文に共鳴せし故。

.................................................................


”空を見上げるとき僕が見ているのは
「空いっぱいの悠久の過去」である。
たとえば天の川を見る。
天の川は我々の住む銀河系の総体であって、
太陽系はご承知のようにそのごく端っこのほうにある。
円盤型のこの銀河の大きさは四万光年とされている。
つまり天の川の中の光のひとつは四万年かかって
この地球に届いたものなのだ。
金星や火星が何分か前に出した光と四万年前に放たれた光とを
我々は同時に見ているわけである。
(中略)
ところでこうした事を考えているうちに
僕は奇妙なことに考えついてギョッとしたことがある。
我々はこうして夜空に「過去」を見ているわけだが、
それなら厳密に言えば、我々が目にするもの森羅万象、
何ひとつとして「現在」のものはない。
我々が見ているのはこれすべて「過去」なのである。
 たとえば我々は太陽を見るが、それは厳密に言えば
今から八分前の太陽の姿である。遠い丘の上で
恋人がこっちに向かって手を振っているのが見える。
その丘が一キロメートル向こうだとすると、
その恋人の姿は光速の
「二九万九千キロメートル分の一秒前」の姿である。
海外へ電話をすると、相手の答えがほんの少しの間合いでずれるが、
あれをもっと微細にしたようなことが視覚の世界で起こっているわけだ。
たとえ僕の目の前のテーブル越しに、愛する人が笑っていたとしても
これは「無限分の一秒」過去の笑顔なのである。
 人間の実相は刻々とかわっていく。
無限分の一秒後には、無限分の一だけ愛情が冷めているかもしれない。
だから肝心なのは、思う相手をいつでも腕の中に抱きしめていることだ。
ぴたりと寄りそって、完全に同じ瞬間を一緒に生きていくことだ。
二本の腕はそのためにあるのであって、
決して遠くからサヨナラの手をふるためにあるのではない。”

by 中島らも 「サヨナラにサヨナラ」より


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